元気学園で言う「しつけなおし」とは、礼儀正しさを求める前段階の、相手を不愉快にさせない振る舞いができるようになることです。
人が2人以上寄ると、自分以外のルールで動くことになるので、社会一般の基本ルールのようなもの。
今までも幼い頃から何度も何度も言われてきているだろうと思うけど、結果としてできないようなことです。
例えば
あいさつをしない。
相手が自分に向かって話をしているのに、知らんぷりをしたり、よそを向いている。
また、聞こえないふりをしたり、目を合わせない。
これは、家では親子のなれ合いで、何とも思わないくらい慢性化しているので、気がつかないものですが、外でこんなことをすると、まわりは違和感を持ってしまいます。決して良い印象を与るってことはありませんよね。
こういうことを繰り返していくうちに、人が近づいてこなくなってしまいます。
嫌なことがあると、泣いたり、明らさまに顔色を変えたりするのも同じ事。
その場にいる同級生の気持ちを考えると、「~どうしよう。泣かしちゃった。」「そんな顔しても、みんなはそれで良いって言っているんだから・・・・。」と、困ってしまう。
周りが急いでいるのに、の~んびりして、ずっと待たせる。
これって、毎回決まった人がするものですが、毎回、「速くしろ!」なんて言いたくない。
だから、言わなくても良いようにスピードアップして欲しい。
こう思うのが、年が近い子どもたち。
他人には、なかなか言いにくいものです・・・言っても聞かないし(^^ゞ。
「急いで、と言う人がいじわるだ。」というのは、おかしいよ。そうでなくて、待たせる方が、「できるだけはやくしなくっちゃ。ごめんね。」と思えるようにするのが、第一目的。
次に、そうしているうちに、まわりのペースに合わせられるようにするのが第二目的。
人と一緒にいようとすると、我慢したり相手に合わせたりすることは避けられません。また、時には我慢だけでなく、自分の考えを相手に上手く伝えることも必要です。
いやな態度で、イヤを表現していては、嫌な関係しか生まれません。
人と視線を合わせるようになると、与える印象が良くなるだけでなく、勉強もできるようになります。
授業中、目で先生をじっと見ている子ほど、成績が良く、その時間に学んだことをよく覚えているのですよ(これ、ほんとです)!!。
躾といっただけで、なぜか厳しいとイメージが結びついてしまうのですが、厳しいと感じるかどうかは、人それぞれ。
同じ事をしても、当然と思う人もいれば、厳しいと感じる人もいますね。
例えば、「信号を守ること」は法律で決められているけれど、普段から信号を守っている人は、当たり前のことだから厳しいも何もないものですが、信号無視を頻繁にしている人にとっては、それは厳しいルールになってしまいます。
何事も、できないから厳しいのであって、できるようになると当たり前のことに変わっていくのですよ。
真っ直ぐ立つ、目を見て話す、聞こえる声で返事するなど、できる人から見れば、「どうしてできないの?」「何でしないんだろう?」。
何一つ難しいことではありません。小学校に上がる前の子供にだってできる。
その証拠に、今まで何度も聞いたことばっかりで、初めて言われることなど一つもありません。
しつけられて身についたことは、コミュニケーション能力を高めるスキルの一つ。
それに、人柄にもつながるものなので、強制されないとしないのではなく、自然にできるようになって、日々、大いに使っていきたいです。