学園では、「年齢が同じでも、できることにはちがいがある」というところからスタートしています。
だから、学校とは違って、集団活動はあるものの、その子の能力に合わせて、「しなくてはいけないこと」と「今はできなくてもいいこと」があります。
ちがいというのは、学力だけでなく、運動能力や体力もですし、もちろん個人の性質や性格なども考え合わせてのことです。
できることは3種類くらいあって、喜んですること、仕方ないからすること、イヤイヤすることに分けられるでしょうか。
難しいのは、その子にとって、十分やれるはずなのに、できるはずのことをしない、というところです。
例えば、その人にとってはできるはずの「自分のことを、自分でしない」というのもあるし、学校などでは、掃除などの義務的なことが嫌いであるとか、重要なタイミングにふと逃げていなくなってしまうとか、それを注意すると、逆ギレして腹を立てるなどなど・・・。
家庭では、お母さんとの親子喧嘩の原因と重なるところがあるのではないでしょうか。
これらを一言で表すと、自助努力をしない。
自助努力ができないことが、困ったことをひきおこします。
一緒にいてくれる人が、一人、二人と、関わるのをやめて、いなくなってしまうからです。
「自分のために、自分のできる程度の事は努力する」 というのが、元気学園のいう自助努力。
人に助けてもらわないとできないことだってある。誰かに頼ることも大切。
だからといって、人に「全部やって」では、何事も力が付かないですよね。また、それでは、いつか周りがイヤになってしまいます。
気の向いたことしかしない、言い訳が多い、何事も受け身、といった状態では、周りにいる親切にしてくれる人が、いつか根を上げる日が来ます。
また、一生懸命親切にしてくれる人ほど腹が立つもので、人の心とはそういうものなのです。
子どもによって(個人での)差はあるにしろ、年齢が低いほど、自助努力することを教えるのはたやすいことです。父母の子どもへの接し方や育て方とも無縁ではありません。未来指向性と重なる部分もあります。
生徒たちが人の中で暮らしていけるようにというのは、元気学園の一番根底にある希望。
進学や就職は、そのための途中経過であって、決してそれが目的ではありません。
自助努力をしなければ、人は離れていってしまいます。
そうならない為にも、今ここで、自助努力できるようになり、社会で役割を得られるように育って欲しいと願うのです。