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子どもの教育と貧乏という家庭教師

子どもたちを預かってきて、年々感じることが、子どもたちに核となるもの、芯がなくなったと思う。
考えが、あっちに行きこっちに行き、あれがいいと思ったかと思うと、すぐに嫌になりまた別の・・・・を繰り返して、何も育たない。
その理由の一つとして考えられるのが、
家庭に「貧乏という家庭教師」がいなくなったということ。

貧乏さんがいなくなったせいで・・

日本が豊かになり、社会保障が充実し、より一層、健康で文化的な生活を送れるようになったのだけれど、貧乏さんがいなくなったせいで、子どもに「我慢」や「辛抱」を教えるのが難しくなった。
たとえば、朝学校に行きたくない遅刻しそうだという状況の時、家には車があって、お母さんも運転できる。
当然、「送って」となる。逆に、「遅刻するくらいなら行かない」と脅される。
仕方ないから、送ってしまう。 でも、もし、車がなかったら、こんな朝の親子の葛藤なんてありえない。
我が家だけが特別ではなく、社会全体が、車なんて子どもが使うものじゃない、という状況なら、ほとんどが、「仕方がないから自分で行く」となる。

余裕があると・・・

これは、一例で、家庭のいろんな場面で、子ども自身が「仕方がない」とあきらめて自分の足で前向きに歩む。
という状況が減っているし、ついつい周りも助けてしまう。
だって、余裕があるのだから・・・。

大人もしてあげないと、意地悪をしているような感覚をもっているし、子どもも、自分のことがかわいくないからなんだと拗ねる。
だから、日本が豊かになって便利になればなるほど、粘り強い、人としての芯棒(=辛抱ともおきかえられるかな?!)をもつ人間を育てるのは難しいなと感じる。
でも、後戻りはできない。一旦手に入れたものはそう簡単には手放せない。
そこで、元気学園が大いに利用しているのが、集団の力なのです。


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