どうなっちゃうんだろう日本:教育現場から
「ムリさせない方がいい?」
こうして、こどもの教育に関する、特に不登校という、文科省が未だに答えをだせない難問に取り組んでいる者として、未来の日本社会を考えてみると、「大丈夫なのだろうか?!」と心配になる。
相談に来る人、電話相談でも、今まで相談したら「ムリさせない方が良いと言われてきた」というし、親も、「あまりムリさせないほうが」というのが合言葉になっていて・・・・。
何をもってムリとするかのレベルが、子どもができること、当たり前のことにまで「ムリ」と言ってしまうのは、大きな問題だと思う。
親も、子どもに、遠慮がちだし(そういう親子が増えているように思う)、まわりも当たり障りのないことをいう大人ばかりで、子どもたちがどんどん言葉に対してナイーブになって、結果として、ムリしなくていいが横行し、「何もしない」ということを社会が認めたことになっていく。
休ませる、ムリをさせない = 横着者にしてはダメ
不登校の問題で、一番大きいのは、こどもを横着者にしてしまうこと。
ムリしない→何もすることがない→横着な生活。
不登校の原因は複合的だし、誰が悪いと一つに限定できる問題ではない。
ただ、理由はどうであれ、能力を伸ばせずに、ぐうたらを覚えてしまうのは、良くない。
ぐうたらを覚えると、働けなくなる。
最近は、社会全体が、「さわらぬ神に祟りなし」といった風で、子どもが言葉にしたことをすべてを本当のこととして、休ませなさい、ムリをさせない方が良い・・という。
子どもの言うことは、真実もある、しかし、言い訳もある。
自分を守りたいがための言い訳っていうのを、大人が、そうだね、そうだねと聞いて、容認してしまって、ラクにラクにと流れてしまうのを、誰も抑えられない。
他人は、嫌がられるようなことを言わないのなら、親が言うしかない。もし、他人で、その子の将来を思って、厳しく聞こえても本当のことを言ってくれる人が居たら、その人は、稀にみるいい人なのだと思う。
でも、そういう人って、まずいないのが、現代社会。
親は、学校で何が起こっているのかよくわからないから、あまり強く言えない。
(こどもを一貫性のある目でみるというところができなくなっている。バトンタッチがうまくいかないと言った方が良いかも。これは0歳児からの子育てに通じる問題点ですが、話がとぶので、また後日)
すると、家でぐうたら生活をさせてしまうことになる。
ぐうたら生活はいったん味をしめると抜け出せなくなる
でも、よく考えてみてほしい。
成長期というのは、人生で最も活発な時期。それは、人間が生き物だからであって、そうあるべき姿。それに反している。
その時期に、太陽にも当たらず、能力を高めず、切磋琢磨せずにいて、ちょっと口うるさく言われると、「自分は悪くない」とふてくされる。疲れたら横になり、好きに時間を過ごす。
こういう時間の過ごし方って、最初は良くて、だんだん物足りなくなって、を繰り返すけれど、だんだん居心地が良くて、ぐうたら生活は一旦味をしめると抜け出せなくなりますよ~(と、引きこもりをしていた生徒たちは言う)。
それに、ムリしなくていい・・って言ったら、止められない。だって、ラクなんだもん。
10代をぐうたら生活していて、20代になって勉強しようと思っても、・・・悲しいかな、できません。
真面目に取り組む習慣をつけるのも脳の発達時期でないとできない(できるかもしれないけれど、脳の発達時期でないとたいへん難しい→これまでの経験より)のです。
松下幸之助や松本清張みたいに小学校しか行っていなくても、常に頭を働かせている人なら、年齢が上がって思い立った時に勉強してもできると思うけど。
要するに、「どう過ごしているか」、っていうのが重要なのです。
この状態が長引くと・・・
長引けば長引くほど、この状態が普通と思うようになってきてしまうのだが、体だけは成長する。
そして、働く年齢だから、「できることだけでいい、アルバイトでもいい」と、働くことを促しても、やっぱり働けない。
心もラクを覚えるし、体もラクを覚えてしまう。
習慣って恐ろしいです。
イギリスなどでは、働けない(働かない)若者と、生活保護者が増加して、経済をひっ迫している。
日本も、高齢化だけでも背負いきれないのに、働かない若者が多くなっていくと、どうなっちゃうのだろう。
ましてや、国際化で、こんな大荷物背負うのは嫌だよと、稼ぎ頭が海外にでていってしまったら、どうなるの?
少子化で、人口が減るということは、より良い日本人をつくる必要があると思うが、それに逆行してしまっている。
労働する年齢になって、「働かないのは困った!」と気が付くのではなく、
すでに、中学生や高校生の時に、どう過ごしているかで、先が予測できる。
急に、頼りになる良い子に変身する、桃太郎みたいな話は、絶対にありえません。
まずは体を健康にし、実力をつけてあげる
不登校は、子どもと学校と親の問題。
学校という子ども社会でうまくいかないのは、元気学園では、子どもの能力の問題が大きいと思っていて、体を健康にして、実力をつけてあげることで解決している。
子どもが家に居て横着になってしまうのは、親子の問題。
これについては、体調不良があって体が動かないのか、子どもを受け入れる環境がないのか、わがまま勝手が強いのか、躾が悪いのか、考えてみるとよいと思う。
人は資源。子どもの個人の能力を高められないのは、日本の憂慮すべき問題だと思う。
「できることをさせない」では、力はつかない。それを社会で背負う負担は大きい。
子どもに能力以上を要求して、追いつめてはいけないが、今ある能力でできることを、きちんとしていく子にしていくのは、子どもの幸せにつながる。
今、教育現場で感じるこの感覚が、いつか社会でも議論となる日がくる。
「鉄は熱いうちに打て」と、早めに対処してほしい。教育は、個人の問題だけではなく、国家戦略。
「習い性となる(書経:習慣はついにはその人の生まれつきの性質のようになる)」という言葉があるように、持って生まれた性格もあるけれど、人間、習慣によっても性格ができるというところに注目して、「ムリしなくてもいい」が、子どもの横着を容認する(=能力を伸ばすことを阻む)ことにつながってしまうということに、社会全体が、気が付いていければと思う。

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