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目を離しても大丈夫な子育て

思春期は「目をはなしてはいけない」時期

子育ては、

  赤ちゃんの時には、肌をはなさない。
  幼児になったら、手をはなさない。
  思春期には、目をはなさない。
  青年期には、心をはなさない。


といわれています。


今、元気学園に来る子供たちはちょうど思春期の年齢で、「目をはなしてはいけない」時期。
でも、ずっとそばにつき歩いて、監視しているわけにはいかない。
そこで、見ていなくても、見られているのと同じようにできるようになって欲しいもの。
それには、正義感や、秩序や規則を守る、順法精神を育てないといけないし、それぞれの家で違う決まり事に則った生活ができるような生活習慣を身に着けないといけないことです。

子どものわがまま、気ままに負けてしまうと・・

どの親御さんも、思春期までの年齢にそういったことができるように子育てをしていると思うのですが、子どもには、もって生まれた性質というのがあります。
一度言えば分る子もいるし、何度言っても聞かない子もいます。
非行などはこの最たる例です。非行ではないけれど、心はゲームや漫画、遊びのとりこで、できることなら楽をしたい、辛いことから逃げたいというのも同じことです。

こういった状態から、普通の学生らしい生活をさせるのは、やっぱり、親の力が大きいです。

子どもたちを見ていても、
「決して、わが子の人生を、他のなにものにも乗っ取られない!!」と、断固として、戦ってくれる親がついているところは、どんなに状態が悪くても、子どもが歩みだします。
子供にとって、親は、いかり(錨)。船(子どもの心)がどこかにいってしまわないような役割をしています。
子どものわがまま、気ままに負けてしまうと、後がたいへん。
問題を将来に持ち越すことになります。

生活習慣こそが、子育ての基本

戦ってくれる親は、子どもにとって、今は、うっとうしいけれど、やっぱり、愛も感じるし、途中であきらめずにいてくれると、それが、最後には、「感謝」になってかえってくるのだと、卒業生たちをみて思います。
世の中に、自分のために、戦ってくれる人は、親や先生などほんの数人しかいませんからね。
そういう出会いがあるだけでも、恵まれていますね。
ただ、戦う相手が、自分の中にあるので、その時は、本人はつらいかもしれないけど・・・・(^_^;)。
後になってわかるという感謝もあります。知恵がつくと、わかるようになりますからね。

我が子はかわいいものです。預かっていて、わが子でなくても、一緒にいる時間が長いと親しみが深くなり、やっぱりかわいいです。
でも、一人の子の中に、佳いところと悪いところがあって、植木を剪定しないと、人の目に枝が入って危険だとか、伸びてほしいところに栄養がいかなくなるのと同じように、子供の方向性も、社会に合わせて生きやすいように変えてあげるのは、必要な事なのだなと、いつも思います。

見ていなくても、安心していられる子、信用できる子に育ってほしいです。
それには、生活習慣。
生活習慣こそが、子育ての基本です。
何に時間を使っているか、どんな子とつきあっているか、これが、チェックポイントです!


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