イヤを言い立てすぎた結果、人がまわりにいなくなる
「そして誰もいなくなった」
アガサクリスティーの推理小説とは全く関係ない話ですが、この言葉が現実におこってしまうことが不登校の隣に合って、背筋が寒くなるような気持ちになることがあります。
18歳を過ぎてから入学してきた一人の生徒が、
「元気学園にきて、先生の話やみんなを見ていて気がついたんです。『人が居なくなるということが。』と言ってきました。」
「中学を不登校していた時、たまに行くと先生がやってきて、親切にしてくれた。
でもあまり返事もしないし、反応しないから、次々と人が代わっていった。
その時は、いろいろ言ってくる人が居ました。
でも、高校になると、通信に行ったんだけど、自分から何か言わない限り、一切声をかけてもらえなくなった。
そのうちに、誰も自分の傍に寄ってこなくなった。
最後には一人ぼっちになったんです。
家族はいるけれど、家族は、何か違うんです。ゼンゼンわかってない。
元気学園にきて、やっと、言わなくても分かってくれる先生たちがいて、そこから脱出できたけど、多分ここに来ていなかったら、どうなっていたかと思うと、怖くなるんです。」
人が居なくなるということが引き起こす、孤独感の先には何があるのか・・・・。
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どうか、まずは家族といられるようにと思います。
しかし、こどもが、学校・友人関係・先輩との関係など、外でのありったけのイヤを言えるのは、お母さんしかいない。
最も身近にいて誰よりも親切なおかあさんですら、そのイヤの大きさのあまり、耐えられない・・・・・。
家族が一緒にいるのにも、練習がいるものです。
さらに、家族以外の人と一緒に居られるように、人に好かれるよう、人を受け入れることができるように元気学園ではそういう話をよくしています。それだけ、危機感を抱いているということです。
「そして誰もいなくなった」
ということが、目の前の子供たちには、絶対に、現実になって欲しくない!!
喜びも悲しみも、分かち合う誰かが、将来傍にいるように、そのための教育です。

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