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《卒業生の声》 少しでも今の自分を変えたいと思ってる人へ

中学生の頃からの不登校。
高校に進学したものの解決せず、まわりから取り残されてしまう孤独感や自己嫌悪でつらかった時期をへて、元気学園にやってきました。
不登校を乗り越え、不登校友達と一緒に活動したり、勉強をすることの楽しさを感じて、大学に入るまでの体験をつづってくれました。
こんな私、おかしくって変だった頃の私にずっと関わってくれて、導いてくれて、仲間にしてくれて、先生たちやみんなに恩贈りしたいから、
「これが少しでも今の自分を変えたいという人の役にたてばと思います。」 とのことです。


 

<もくじ>

 


 

  1. 孤独、自分に自信がない
  2. 高校には入ったものの
  3. 小学生からやり直しの勉強
  4. 苦手な英語が伸びてきた実感
  5. 不登校になって開いていった同級生との差
  6. 元気学園での生活
  7. 心を開くことができない
  8. 一緒に受験勉強、嬉しくて仕方ない
  9. 父母への負い目
  10. 元気学園の先生
  11. 人は変われる 私、頑張ったな〜
  12. 私の体験が役に立てば

 

 


もうすぐ私は大学生になります。これを今読んでいるあなたは私のことを知らないでしょう。でも、私もあなたと同じ不登校だったのです。


 

孤独、自分に自信がない 今、あなたはどんな毎日を過ごしていますか。朝は罪悪感や今の自分の現実への失望で布団からでられず、昼は虚無または自己嫌悪、夕方は同い年の子ども達の笑い声にうらやましさ、さみしさ、もしくは、恐怖を感じているかもしれません。それから昼夜逆転生活。もちろん、そうでない人もいるでしょう。
私の場合、上に加えて、学校にちゃんと通っている兄弟や、学校に行きなさいと言う両親の存在。行きたいけど行けないというジレンマ。
そういうものにも、苦しみました。学校に行ってないという後ろめたさから外出もしなくなり、中学の友達とも疎遠になりました。あんなに仲が良かったのに、自分がダメになると見捨てるのか、と疑心暗鬼になったりもしました。不登校だったときの私はこんな感じでした。
唯一の慰めは、飼い猫の存在と窓から見る空でした。
時々窓を開けて感じる風は、色々なにおいがし、外の世界でごく普通に生活できたらどんなに幸せだろうと思わせました。
あの頃は自分がぷっつりと外の世界から切り離された気がして、毎日がつらく、悲しく、孤独で、自分に全く自信がありませんでした。


高校には入ったものの 高校には、不登校受け入れ可能の学校に入学しましたが、中学の頃から不登校だったので体力や学力がまったくなく、高校の生活はついて行くのが大変でした。
対人関係では、どうしても他人を心から信頼できず、表面上だけは仲の良い友達を演じ、内心は友人の発する一言一言を疑い、恐れていました。また、自分の発する一言一言が自己嫌悪の種でした。
期待していた「楽しい高校生活」の夢も破れ、家に引きこもり、毎日泣いて暮らした後、中2の頃見ていた元気学園のホームページをふと思い出して、元気学園に電話をしました。そして、元気学園入学という、蜘蛛の糸をつかみました。


小学生からやり直しの勉強 元気学園に入学して驚いたのは勉強のことです。現在の年齢に関係なく、出来ないところまでさかのぼり、埋めていく。私の場合は小学校3年生からでした。
当時、私は高校2年生、17歳です。高校生なのに小学校の勉強…。
最初は恥ずかしくて仕方ありませんでした。しかし、先生が穴を埋めなければ次へ進んでもまたつまずいてしまうよ。Slow But Steady(ゆっくり、でも着実に)と教えてくれたので、それからは、「やってなかったんだから、仕方ない。
ぐずぐず言うより、こつこつやった方が早いな」と思うようになりました。
小学校の勉強が終わると中学校の勉強に入りました。私の場合、中1から学校に通ってなかったので、知らないことがたくさんありました。勉強が分からなさすぎて、私はこんなに無知なんだということを知りました。当時、私と同い年の子達は私より進んだ勉強をしていて、Slow But Steadyという言葉の意味を、頭では分かってはいましたが、早く追いつきたい、という気持ちで焦ってしまいました。
理想は高いけど、実力が追いつかない。そんなことによく悩みました。
高3の時点で大学受験の為に勉強する科目を絞りましたが、当時、英語はまだ中学生の内容をやっていました。当たり前ですが、現役で大学に行くのは不可能でした。
高3の終わり頃に、多少抵抗はありましたが、自分の実力が勉強面、生活面でもまだまだ実力不足だということを受入れ、浪人することを決心しました。現在の自分の状況から見て、この判断は正しかったと実感しています。浪人した結果、私は多くのものを手に入れることが出来ました。


苦手な英語が伸びてきた実感 まずは、勉強です。1番ネックだった英語は、浪人の夏まで中学校と高校の間をさまよいながら勉強していました。なかなか模試の成績も伸びず、私はこんなもんなんだ、と思っていました。夏の模試では、行きたいと思っていた大学は難しいという結果に、「もうどうにでもなってしまえ!」と思ったこともありました。そんな中でも学園の先生方は色々工夫して勉強を教えてくれました。
その中に英語の音読というものがあったのですが、それを始めてから、少しずつ英語の成績が伸び始めました。また、先生に「英語の暗記はこつこつ粘り強くやることが大事」と教えてもらい、とにかく暗記はこつこつやりました。その甲斐あってか、夏の模試から、最後の模試で40点、点数を上げることが出来ました。また、センター試験でも150点台をとり、大きな自信を作ることが出来ました。
大学受験の結果も、行きたいと思っていた大学に合格することが出来ました。あんなに駄目だった私がここまで到達できるほど実力を付けられたのは、一重に学園の先生方の我慢と優しさのおかげだと思っています。


不登校になって開いていった同級生との差不登校になったことで、どんどん開いていく同級生との差。勉強が出来ないという劣等感。それはとても苦しいものです。私も、当初は早くこの差を縮めたいと焦っていましたが、その差は簡単に縮められるものではありませんでした。
「日曜日を先にいっぱいとっちゃんたんだ。」と先生はよく言います。耳に痛い言葉ですが、本当にその通りだと思いました。これからも一日一日を大切に使って、先にとった日曜日の分を埋めていきたいと思っています。


元気学園での日常生活 次は生活面です。勉強もさることながら、学園での生活も驚きの連続でした。朝起きて、夜寝る。つい最近まで昼夜逆転の生活を送っていた私にとって、それは大変なことでした。しかし、寮生活ということもあり、みんなが起きているのに私だけ寝ているのはおかしいし、恥ずかしい。そう思って頑張って起きるようになりました。 
朝起きるのがつらい、動くのがつらい・・・そう思ったことが何度もありました。
それでも、ここが私にとって最後の砦。
ここで全てを投げ出せばまた、あの真っ暗な生活に戻ってしまう。それどころか、子どもでも大人でもない、親のすねをかじり続ける人間になってしまう。そんな人間には絶対なりたくない!そう思い、頑張れば、いつか必ず良い結果が訪れると信じ、ここでの生活を続けました。

そんな生活が1ヶ月、2ヶ月と続くと、しだいに朝起きやいろんな事に慣れてきました。不器用ながらも掃除、洗濯、家事もこなせるようになり、みんなの輪に入って生活が出来るようになりました。
みんなの輪に入れば、必ず1人や2人は話しかけてくれます。内心はびくびくでしたが、ここにいる子達も元は不登校。
決して嫌なことはしないだろうと自分に言い聞かせ、話をしていました。半年も経つと生活にも順応し、後輩もふえ、もともと年が上だった私は、新しく入ってきた後輩達の面倒を見ることも多くなりました。その頃、自分のすることにいまいち自信を持てなかった私ですが、後輩が私を頼ってきてくれので、しっかりしなきゃと思うようになりました。1年経つと、もうたいていの事が出来るようになりました。ただ、どうしても治らないものが1つありました。


心を開くことができない悩み 心を開くことが出来ない。
それが私の大きな悩みでした。中学の時あんなに仲の良かった友達が、私が不登校になってしまったのを機に離れてしまったことで、私の中に生じた他人への不信感。高校で友人を無理に作ろうとして失敗したトラウマ。様々な原因が私の中に分厚い壁を作っていました。
1年間というここでの生活で、この厚い壁は多少薄くなったものの、まだまだ私の中に残っていました。
何故だろう。どうやったらこの壁はなくなるのか。それが分からず、悶々と悩んでいました。日頃は勉強、運動、家事などで忘れているのですが、夜、1人になると思い出し、もしかしたら、もう取り戻せないものを失ってしまったのかもしれない。一生、気の置けない友人なんて出来ないのかもしれないという考えに行き着き、泣いたりしていました。
そんな私に大きな転機が訪れたのはここに入学して1年半経った頃です。
ある子と寮で一緒に生活することになりました。その子は、この学園の女子生徒達から良く慕われている子で、私より1つ年下です。
お互い受験生(私は一浪)ということから、同じ寮で生活してみよう、という話になったのです。その時からその子は私によく話しかけてくれるようになりました。
私にとってその子は、一緒に居るのが恐れ多いような存在で、話しかけてくれても、高校にいた頃と同じように、当たり障りのない受け答えをしていました。
「私なんかと話しても、何も良いことないのに。」「どうせ、心から仲良くなんてなれない。」「本当はそんなこと思ってないくせに。」いつもそう思っていました。
傷つくのが嫌で、一定の距離を置いていました。でも、その子は、話しかけ続けてくれました。話しかけ続けてくれたことに、戸惑い、気恥ずかしさを感じながら、少しずつ私の中に残っていた壁がなくなり始めたのを感じました。
その子とはいろんな事がありました。勉強に苦しくなったとき、お互い励まし合ったり、勉強のしすぎで、顔が緑色だと笑い合ったり、2人で夜食を作って食べたり…。こんな些細なことが私にとって驚きと感動でした。もちろん、そんなこと言ったら恥ずかしいので、表面上は普通に過ごしていましたが、内心は嬉しくて、「受験が辛いなんて言い合ってるけど、一浪してこうして受験勉強できることが幸せ。」と思っていました。


一緒に受験勉強 嬉しくて仕方ない 私にとってその子の存在は大きな突破口の1つになりました。昔は人付き合いが苦手でしたが、今は、1人でいるより2人、2人より3人でいた方が賑やかで楽しいと感じるようになりました。今、私は学園の子達と話すのが楽しく、毎日がキラキラとしています。もちろん、真剣に話し合うときなどは色々考えてしまって、落ち込むこともありますが、そんなときはその話とは関係ない友人に会いに行きます。落ち込んだとき、友人に甘えられるということが、今までの私から見れば信じがたく、あり得ないことでした。こんな風に自分が変われたことが、この元気学園で一浪して得た、宝です。


もし、ここに入学したら仲の良い友達が出来るか不安に思っているかもしれませんね。高校に通っているとき、私は表面上でしか人と仲良くなることが出来ませんでした。表面上のつきあいなので、つらいと感じることがよくありました。
私はここに来てから1年半経って、ある子と出会い、ようやく人といて、心から嬉しい,楽しいと感じるようになりました。それまでは、やはり表面上だけという感じがしていました。
なぜ、そのようになれたかというと私の中にあった他人に対する壁がなくなったからです。この壁はすぐに消えるようなものではありません。学園の寮でたくさんの人と生活し、同じものを食べ、一緒にお風呂に入り、ちょっとふざけてみたり、時には対立し、気まずくなってみたりして、そうやって普通の人にとっては何でもない日常、でも私にとっては懐かしすぎて新鮮、そんな日常を積み重ねて、かけがえのない友人達ができ、私の中の人を疑うという壁がなくなっていったのです。


父母への負い目 ここで生活していて、最近ふと気づいたのは、母や父の顔が優しくなったことです。両親、特に、一番近い存在であった母には悲しい思いをたくさんさせてしまいました。母が私のことで、父に「辛い。」と話しているとき、不登校だった私は、悲しく、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。父はあまり私を叱りませんでしたが、父も辛かっただろうと思います。
ここで生活し実力を付けて、大学合格という成果を手に入れたとき、両親は本当に喜んでくれました。また、私も両親のそういう姿を本当に久しぶりに見て、胸がいっぱいになりました。ずっと感じていた家族に対する負い目もなくなりました。
今、やっと、夢見ていた「普通の生活」のスタートラインに立てたのかなと思います。


元気学園の先生 最後に、私をどん底の縁から救って下さった先生の話をしたいと思います。
私が初めてここに面談に来たとき、その先生に出会いました。ここの学園に説明しがたい魅力を感じていたので、「明日からでも、来て良い。」という先生の言葉に嬉しさを感じ、入学しました。入学してからすぐ先生と2人で愛媛にある病院に行きました。帰りに「静岡から愛媛までどの県を通ったか分かるか。」と聞かれ、分からず泣いてしまいました。
でも、その時初めて、そういうことを聞いてくれる大人に出会ったと思いました。その後、すぐ、46都道府県を覚えました。
先生は、悪いことは悪いとはっきりと教えてくれます。その時は、その悪い側に自分がいるので「むむっ。」と思ったりもしましたが、その後よくよく考えると、「私が間違っているな。」と気づく事が出来ました。
そうやって気づくたびに、少しずつ心が成長してきたように思います。
また、忙しい中で、私が落ち込んでどうしようもないとき、時間を割いて一対一で話を聞いてくれました。
そして、先生はときどき、学園の生徒を外食に連れて行ってくれたり、お菓子を寮に差し入れてくれたりします。そういうことが、慣れないここでの生活や勉強で疲れた心を癒してくれました。


人は変われる 私、頑張ったな〜 私が大人になったとき、こういうことが出来るだろうか。そう思うと、その先生はじめ、学園の先生方がしてくれたことに深く感謝せずにはいられません。もし、ここに来ていなかったら私はどうなっていたのかと想像するのも怖いくらいです。 
よく先生が、「場所は違えど主は変わらず」(どんなに自分を取り巻く環境が変わっても、自分が変わらなければ、また同じ結果になってしまう。)と教えてくれます。私は今、その言葉を自分の教訓にしています。


人は変わろうと努力すればかならず変われます。今、こうして自分を振り返ってみると、「私、頑張ったな〜。」と思ってしまいました(笑)。
でも、まだまだ発展途上。今の私は、あくまでもスタートラインに立っただけで、これから実りを付けられるかどうかは自分次第です。
ここを卒業するということは、学園の助けがなくなるということです。この先、色々なところで隠れた支えがあったことを実感していくのだと思います。そう考えると、卒業するのが少し怖く感じますが、いつかは通る道。逃げずにまっすぐ前進していこうと思います。そして、学園のみんなと笑って、また会える日を楽しみにしています。


私の体験が役に立てば これを読んでるあなたがどんな人か、どんな状態なのかわかりません。でも、これを読んでくれたということは、現在の状況を打破したいと思っているからではないでしょうか。
私の体験が少しでも役に立てればと思います。

 

 

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著者:元気学園校長小林高子

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