校長よりごあいさつ

ごあいさつ

元気学園校長 小林高子

設立のきっかけ


兵庫県姫路市出身。東京工業大学の大学院卒業後、この仕事をはじめました。学生時代は、生物無機化学という分野の研究をしていました。
元気学園を設立し、30年になろうとしています。その間ずっと、不登校の子供たちの教育に携わってきました。
仕事の傍ら、社会人博士課程大学院生として、学生時代の専門分野である化学と元気学園での運動療法や脳機能の研究の融合分野として、ドーパミンなどの脳の神経伝達物質の酸化ストレスについての研究をし、博士号を取得しました。(父母に専門職や医療関係者、博士がとっても多いので・・・とっておいたほうがいいかなぁと・・・(^_^;))
これら学んだことを、子供たちへの教育に生かし、元気学園の不登校を直すというシステムが、もっと大勢の人たちに適用できるようになれると良いなと思っています。
いつか、フリースクールから脱皮して中高一貫校になって、不登校の子どもたちに最も適した教育を行え、それが予防教育にもつながり、多くの日本の親子が、早い段階で、悩みから解放されることができるように、夢見て頑張っています。

不登校は、その子に適した教育を行えば、解決することを知ってもらいたい

不登校については、学校関係者の中でも、不登校は治らないと考えている方がいます。
それは、「今まで、不登校になった子で、クラスに戻って、休まずに毎日通って、普通の授業をみんなの中で受けられるようになった子を見たことがないからだ。」と、はっきりおっしゃいます。
元気学園から学校復帰した生徒を見て、「保健室ではなく、正規の授業を全部受けることができるなんて、こんな例は初めてです。」との連絡をうけます。
このような経験から、不登校は、適した教育を行えば、直るんだということを、もっと、もっと、知ってもらいたい!と思っています。
解決していっている子どもがいるということを世の中の人にも知ってもらいたいし、今困っている親子にも希望を持ってもらいたいです。
そして、不登校を長引かせない、繰り返さないよう、できるだけ低い年齢のうちの対処が、解決の近道だということをHPで知らせています。
勉強だけ、とか、人の中でいることができるだけというように、一部では、解決しません。不登校の問題は、総合的に取り組まない限り、解決しないのです。
問題は、同時にかつ複合的に起こります。勉強が分からない、友達ができない、誰かが嫌い、体がつらい・・・・子供が訴える言葉は、何にどのくらいの重きを置くかは別にして、すべて本当。
だから、全部をできるだけ短い期間で直すことができるように、脳や体の機能を研究し、それに最も適した環境づくりを整えてきました。
だから、元気学園を一番わかりやすく表現すると、学校と病院を掛け合わせたようなものです。人間の体や脳の機能を高めることで、壁と感じていることを乗り越えられるような試みをしています。

全寮制のフリースクールにした理由

元気学園は、寮生活ということもあって、不登校の子供たちの学校での昼間の姿だけでなく、家や日常での様子、大人といるときと子どもだけの時との違いまで、日々共にいるので、知り尽くしているかなぁ・・・。
子どもたちは、みるみる元気になります。
入学後、1週間して、父母に面会に来てもらうのですが、その姿に、みなさん驚きます。
幼いころの、屈託のない笑顔を取り戻し、活発さを増します。なぜそうなるか、それは、体が元気になって、軽やかになっているから。
そして、心に大きく影響を与えるのは「希望」です。できることが増えて、能力が増せば、おのずと自信が生まれてきます。自分の将来を悲観していたころとは、打って変わって、自分の未来が開けていく、努力が報われるんだということを実感していくと、目が輝き、動きが機敏になっていきます。
すると、もともと持っていた野望というか、本心がめらめらとでてきて・・・(^_^;)。
指導するのは、たいへんですが、そのおかげで、少ない人数の中から毎年、国公立大学に合格する子が出て、中には東京大学や医学部に進学する子もいて、生まれ変わったというほどに、家でぐずったれていた頃とは違う人生を手に入れています。
親に変わって子育てするのは、喜びもあるけれど、一方、気難しい性格と向かい合うのは、一筋縄ではなく、さまざまな苦労やハプニングの連続です(^_^;)。
その学園生活の様子や、思ったこと、考えていることなどをブログにつづっています。

(元気学園校長 小林高子)

略 歴

1994

東京工業大学大学院修士課程卒業

1994

元気学園の前身である塾部門とフリースクール部門を開設し、不登校の子どもたちについては、通学の生徒を受け入れはじめる。
不登校は、心の問題と捉えるのではなく、体力・学力・コミュニケーション能力などの実力の問題としてとらえ、医療をはじめとする、多視点からみた問題解決に励む。

1996

1日のうち、12時間以上子どもたちと一緒にいて、考え方や物事のとらえ方、動きのスピードなどを具に観察して、共同作業をしてみると、家から通ってくるだけでは、不登校が抱える問題は解決できない、また、解決したとしても時間がかかってしまって、20代、30代になっても持ち越してしまうことがよーーーくわかった。
また、お母さんと子どもの関係や生活習慣、躾の問題が大きな壁になっていると感じ、寮で預かって教育することを始めるために、第一寮を開設。
寮で生活することで、教育効果が、およそ通学の4倍程度のスピードに高まった。

1997

働けるようになるための訓練場所としてドライブインを開設。働かせることのむずかしさを痛感する。
職場体験施設での経験は、いかに、毎日、職場まで自分の足で来て、そこで、決まった時間、その場にいさせるだけでたいへん、さらに働かせるとなったら、もう、ちょっとやそっとの、たいへんではない、ということを教えてくれた。
それもあって、低い年齢のうちの教育の必要性を強く、強く、強く、感じ、中学生への教育と、教育システムの確立に力を入れ始める。調理師資格取得。アメリカへの修学旅行。

2002

ドライブインを閉鎖し、その代りに、市内の企業に協力をお願いして、職場体験訓練を行うようになる。第二寮開設。トルコへの修学旅行

2003

寮生の増加と教育環境の向上を求めて、静岡市駿河区高松に校舎(本校)を開設。
今いる生徒たちの性質・性格に合わせて、できるだけの環境づくりと、教育システムづくりをしていく。
相性の問題などで、一緒にいられない子が多いため、寮を分けていく、市内に寮をいくつか開設する。
オーストラリアへの修学旅行

2005

不登校の子どもたち特有の幼さ、気難しさや頑固さと教育との関係のヒントを求め、また、子どもたちに将来の職業の選択肢を提案するために、試験のみでとれる国家資格である保育士試験を取得。

2006

エジプトへの修学旅行(第一回目)

2007

第二校舎を本校の近くに開校。生徒の状態や年齢の違いで、空間をはっきりとわける。寮の充実を図る。

2008

18歳以上の教育を分けるために自活館をつくり、働けるようになることを目的とする自活館を勉強を主とする元気学園から分離する。

2009

長年行ってきた運動療法の成果を、日本大学と共同研究し、学会で発表する。エジプトへの修学旅行(第二回目)

2010

社会人学生として、大学院博士課程に籍を置き、ドーパミンなどの神経伝達物質の酸化についての研究を行い、博士号取得。

2011

日本平キャンパス開校。フリースクールの一つの完成形。
体を元気にする部門、学習部門、そして、働くための練習する場所など、すべてを兼ね備え、子どもたちが、「これから何をしよう、生まれてきてよかった。がんばるぞ!」と思えるような環境がととのった。

2012

パスンダン大学との提携により、インドネシアへの短期ホームステイを実施。静岡市内に、新しい寮を開設。校舎から近く、50部屋ある施設が充実した大きな寮で生活できるようになり、子どもたちの生活空間がさらに充実した。他5つの寮とも連携して、体調不良を伴う不登校や虚弱児童の教育に専念する。

今後…

今後の目標としては、不登校教育を専門にできるような私立中学校をつくり、臨界期を考慮した教育により、病弱児や、不登校で苦しんでいる親子の悩みが解決できればと考えています。後に、中高一貫校となっていければ、さらにきめ細かな教育が可能となります。

また、働いて、給料がもらえるようになるための教育機関、自活館については、みんなで助け合って働いて、そこでのみんなに給料が配分できるような、「さるだんご企業」をつくっていきたいです。


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