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本人の体験談:不登校は大問題だと気付いた今、あの頃を思い出すと涙がでる

◎入学前のこと
私が学校へ行けなくなったのは中学2年生の4月でした。
最初は1日学校を休むだけのつもりでした。
しかし次の日、学校へ行こうとすると涙が止まらず、行くことができませんでした。
そのまま学校へ行かなくなりました。


朝は、親が仕事に行かないといけなくなる時間になるまでベッドから起き上がらずに、布団にくるまって親の言うことを無視、無理やり連れて行こうとされても抵抗してやり過ごす、外に逃げ出したこともありました。
親のいない昼間は、昼寝したり、小説や漫画を読んだり、好き勝手に部屋で過ごしていました。
その時間だけは学校のことを忘れることができました。

しかし夕方になると、ふと悲しくなり始め、学校に行かないことに自己嫌悪を感じました。
夜はリビングに呼ばれて「どうして行けないの?いつになったら行けるの?」
と問い詰められ、何も答えられず机に臥せって泣くだけでした。
私に何を言っても駄目だと諦めた親がただ私を見つめる間に流れる長い沈黙。
重い沈黙に、押しつぶされて消えてしまいたいと思いました。
毎晩 ベッドの中でそんなことを考えて泣いていました。


「学校に行かないことどう思ってるの?!」と親に言われましたが、このままではダメだということは自分でもわかっていました。
自分でも将来が不安になりました。
親に申し訳ないと思う気持ちもありました。
不登校になって、学園に入学するまでの3か月間はずっと、心がぐちゃぐちゃでした。
自分でも、どうにかしないといけないという気持ちがありましたが、どうすればいいのか分かりませんでした。
自分ではどうしようもありませんでした。

母は行動的な人で、私をなんとか学校に行かせようと無理やり車に乗せ、引きずるように学校へ連れていかれたことが何度かあります。
当時はとても嫌でしたが、私のために頑張っていたのだと思います。
学校から呼び出しを受けたり、家では私がこんな腑抜けになったのは母親のせいだと責められることもあったと思います。
母も私をなんとかするために頑張っていたし、私以上に辛い思いをしたと思います。
一度、母が泣いているのを見たことがあります。
とても申し訳なく思いました。この頃のことを思い出すと涙が出てきます。

 


◎入学するまでの過程
初めて学園に相談に来て思ったことは、 「想像していたところと違う」ということでした。
まず相談会で言われたことは、「お母さんと離れて1週間もすればしっかりしますよ、治りますよ」 という言葉でした。
不登校になって、カウンセラーや精神科の先生を頼りましたが治る気配がなく、 自分でも「もう治らないのでは」と諦め始めていたし、 「私はおかしくなってしまったんだ」と思っていたので、 「治りますよ」と言われたことに驚いたのと同時に、 「学校のカウンセラーの人や精神科の先生と、この先生はなんだか違う」と思いました。
「何か変わるかもしれない」と漠然と思いました。


しかし恥ずかしながら、私はすんなり入学できたわけではありませんでした。

いざ入学が決まっても、 「やっぱり今からでも入学取り消せないかな」なんてことを言っていました。
入学に必要な準備も一切、手伝いませんでした。
母がハンカチから服から、衣装ケースまで、必要なもの全部をそろえてくれました。
「ここしか娘をなおしてくれるところはない!」という信念があったと思います。
踏ん切りがつかない私の気持ちを後押ししてくれたのが母の信念と行動力でした。

◎入学してから

「どんなのとこだろう」「どんな子がいるのかな」緊張しながら学園生活がスタートしました。
自分が想像していたフリースクールのイメージでは、ちょっと変わった子や、ヘンな子がいるのかな?と思っていました。
しかし、来てみたら先輩たちはみな元気で、勉強も運動もするし、全然普通で、この人たち不登校だったの?学校行けなくならないでしょ?と思う人ばかりで、あれっ?と思いました。
また、「頑張れ!」と、できないことを無理矢理させられるのでは?と思っていたら、がんばるのは、ご飯を食べることや体を動かすこと。
思っていたことと違いました。
しかも、周りが親切に助けてくれて、こんな楽なことでいいのだ。。。。
と予想に反することが続いて、普通に生活していて気付いたら、元気になっていました。
そして、自分も、精一杯やってみようと思えるようになりました(不登校中は、一切思えなかったので)。


学園生活は、ブログを見ていただければと思いますが、毎日いろんなことがあります。
クリスマス会や卒業式といった年中行事、美術館に行ったり、お祭りがあればみんなで出かけ、日本平キャンパスでBBQをしたり、修学旅行で海外に行ったり、交換留学でインドネシアに行ってホームステイしたり、イベントも沢山です。
なので、とても書ききることはできませんが、朝起きて、運動をして、お掃除して、ご飯を作って、食べて、友達とおしゃべりして、笑って、たまに喧嘩もして、勉強もして、夜は寝る。
「生活こそリハビリ」と先生がよく言われますが、当たり前で普通の生活をしていくなかで、実力をつけさせていただと思います。


私は高等部も学園のお世話になり、不登校の時には考えもつかなかった、大学・しかも、国公立大学に大学受験をして合格しました。
祖父が、「(不登校になった孫が)こんなにまともになるとは思っていなかった。まともになってくれて嬉しい。学園はすごいなぁ。」と言ってくれました。
そして、今年度無事に大学卒業を迎えました。
まわりに人がいるなかで生活しています。
不登校で苦しんでいたころには想像できなかった今に感謝しています。


◎不登校について今思うこと・不登校の原因

学校に通えなくなるって、かなり大きな問題だなと思います。
ほとんどの子は通えているわけですから。
「なんで学校に行けなくなったの?理由は?」
不登校の子を持つ親御さんが抱く疑問だと思います。
私も不登校になったときに、親に何度も聞かれたことです。
しかしその時は、なぜ学校に行けなくなったのか、自分でもよく分かりませんでした。
「わからないけど、もう行きたくない」というのがその頃の答えでした。
今思うと、小学校3~4年生のころから学校が好きではありませんでした。
特に日直当番や発表がある日は「行きたくないな」と思って、学校を休んだりすることがたまにありました。
その頃から、不登校の前兆があったのかもしれません。

不登校になった中2の春の状態を考えると、まず1つに、体力的な辛さがありました。
運動部に所属していたのですが、1週間休みなく部活があり、日ごとに辛いなと思うことが多くなりました。
他の子についていくのが次第に必死になり、余裕がなくなっていました。


2つ目に、勉強についていけなくなり始めた時期でした。
小学校までは特に苦労することなく勉強はできていたと思いますが、 中学1年の後期くらいから、授業中に眠くなることが増え、 「わからない」と思うことが多くなりました。
授業中当てられても答えられない、 恥ずかしかったし、「どうしよう?」と不安を感じました。


3つ目は、苦手なことが多いということです。
小学校のころからですが、日直や発表など、 人前は極度に緊張してしまうので、苦手でした。
他にも学校生活の中で、「嫌だな」「やりたくないな」と思うことが多分他の人よりも多くあったし、またその思いも強かったと思います。 部活も勉強も体力の限界でいっぱいいっぱい。
そして限界になって、「もう無理、頑張れない」という状態になってしまったように思います。
不登校になったのはある日突然ですが、原因はもっと前から積み重なっていたと思います。
今はそう思うことができますが、当時はそんな風に思えなかったので、なぜ不登校になったのか分からず、「行けない理由はわからないけど、もう学校には行きたくない」という言葉にしかなりませんでした。


◎今悩んでいる親子に
学校に行けなくなるのには、人それぞれですが、必ず原因があると思います。
原因を無視して不登校は解決できないのではないでしょうか。
もし今不登校で悩んでいる親御さんがいたら、不登校を軽視せず、 今、解決しないといけない問題だと思って、諦めずに行動してほしいと思います。 元気学園に出会わなかったら、今の自分はありません。
あのままだったとしたら、引きこもりになっていたと思います。
あの時動き出してよかった、元気学園に出会えて本当によかったと思います。
私も不登校で苦しみましたが、今は明るい未来を生きています。 今不登校で悩んでいる子や、子供の不登校で悩んでいるお母さんお父さんに、明るい未来が必ずあるよと伝えたいです。

 



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